昨日までサトルエネルギー学会から依頼の特別寄稿論文作成で忙しく、日記をさぼってしまった。
今日は終わった虚脱感でボーとしていたいのだが、のんびりしているわけにはいかない。
来年出版予定であるチーターの写真絵本の打ち合わせが明日なので、写真を整理しなければならないのだ。
今まで撮ったチーターの写真を引っ張り出して見ていると、その時々の状況が目に浮かんでくる。
昔の写真であっても、撮影した時のことは驚くほど鮮明に覚えているものだ。
瞬時にその場にトリップしていき、整理する手が止まってしまう。
取り組み始めて14年たつが、その間に自分の周りにはあまりにもいろいろなことがおこった。
このチーターたちにもたくさんのことがおきたのだろう。
彼等の多くはもうこの世にいないと思うとなぜか切ない。
そんなことを考えながら整理を終わった。
写真を見ていて、つくづく思った。
僕が撮っているのは、動物たちの姿や生態をではなく、「輝く生」なのだ。
そして、サバンナの風景ではなく、「輝く生」を育む環境である。
いつか僕の写真が動物写真ではなく、「いのち」の写真、共生の写真といわれるようにならなければ・・・。