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感動を伝える

8月18日出発の「井上冬彦氏と行くケニアツアー」の説明会を目黒の道祖神でおこなった。

僕が日程の説明をし、妻(井上写真事務所の唯一の職員)が持ち物のことについて説明した。

口下手な僕と違って彼女は説明がとても上手い。

それにしても、ツアーをおこなうのは、手間隙、気苦労などたいへんなことである。

「なぜそんなことをやるのか」と聞かれる。

たしかに一人で撮影に集中したほうが効率が良いにきまっている。

この理由は、僕が写真をはじめた原点が「感動を伝える」ということだからである。

ツアーはその目的を達成する最高の手段だと思っている。

ツアーのメンバーたちとともに、サバンナの大地に立ち、動物たちの野生の輝きの瞬間にふれ、感動を分かち合った時、僕だけでなくかれらの記憶の奥底から生命の本質(本当の自分)が目覚め、深い感動とともに心が癒されてくれれば最高だと思っている。

それが出来た時、僕がツアーをおこなったことに意味が出てくる。

ツアーの人達が感動し、癒されて元気になっていく姿を見ていると、今までの苦労は瞬間的に消えていくのだ。

その時に、僕自身が一番癒されているのかもしれない。

今日はスライドを使った撮影指導もおこなった。

自分が写真をはじめた時はまったくの独学で、撮影のポイントがわからなくて苦労したものだった。

友人のプロカメラマンの写真と野生動物の写真集だけが僕の先生だった。

何度も何度も失敗しては、悔しい思いをした。

飽きるほど写真集を眺め、イマジネーションを膨らませたものだった。

そのうちの何冊かは表紙もとれかかってボロボロになっている。

よく「写真の撮り方を教えてください」と言われる。

その時、僕が言うことは「一番大切なことは感動すること、そして次は感動したら何も考えずにシャッターを押す」ということ。

考えていたら、最高の瞬間を逃してしまう。

考えるということは瞬間的行動に抑制をかけることなのだ。

今はカメラが良く、すべてカメラまかせですむので、とにかくシャッターを押すことである。

露出がどうだ、構図がどうだと考えずに、感動した瞬間に反射的にシャッターを押すようでなけば、生命の最高の輝きなど撮れないと思っている。

技術がなければ撮れないのも事実であるが、頭で考えすぎたり、能書きをたれて撮っているようでは、どこかで見たような写真か、テクニックに走った写真しか撮れないはずだ。

しかし、はじめのうちは感動してシャッターを押しても失敗ばかりのはずだ。

それで良い、いやそうでなければならないと思っている。

失敗すればするほど自分の技術のなさに怒りが込み上げてくる。

誰の責任でもないのだ。

そこで技術を勉強する。

そのうちに反射的に技術を駆使するようになってくる。

この順番が大切なのだ。

技術が後からついてくれば、感動する心は冷めない。

ところが、逆をやったら感動は冷めてしまう。

ここがもっとも大切なところである。

これはすべての芸術の原点ではないだろうか。

横浜市内のある小学校から、出張授業を頼まれた。

1~2年生が対象と聞き、「難しいです」とお答えした。

1~2年生は僕にとっては宇宙人。

どこまで分かるかまったく想像できないからだ。

ふだん小学校で出張授業を頼まれるときは、5~6年を対象に自然界のバランスをするが、それは難しすぎるだろう。

しかし、担任の先生の熱意に動かされ、受けることになった。

テーマは動物親子と群れの話。

チーター、ライオン、ヌー、ゾウの親子のエピソードや群れでの生活をスライドで紹介しながら30分の授業をおこなったが、2年生はテレビの影響なのか、動物好きの先生が普段教えているのか、その知識にびっくりした。

ほとんどの質問に答えるではないか・・・・。

みな熱心に聞いてくれたので、多少は役だったのではないか、と思っている。

終了後、1年生のエスコートで教室に行き、子どもたちが全員で僕のために劇を演じてくれた。

素晴らしい出来にちょと感動。

でも、さらに感動したのは先生の熱意だった。

実はこの学校は廃校になるらしい。

その記念に子どもたちのために何かをしたいという先生の熱い思いに胸が熱くなった。

12月には校庭に移動動物園を呼ぶらしい。