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原始時代から進歩していないのか?

今日の午前中は胃の内視鏡検査を担当した。

最初の3人の検査を慈恵医大の元内視鏡科教授で当院の顧問の先生が、残りの8人を僕がおこなった。

その内の一人に、検査前に「調子はどうですか」と聞くと、「食べ過ぎたら胃が痛くなるのです」との答えが返ってきた。

僕は、この言葉に過剰反応してしまう。

「はあ、そうですか」と受け流して、無難に検査を済ませれば良いのかもしれないが、僕は冷たく「それは当たり前です」と答えてしまう。

こういった態度はいけないと反省するのだが、「なぜ自分の身体が訴えてくる症状を病的にしかとらえられないのだろうか」と思ってしまう。

「食べ過ぎれば、おなかが痛くなる」、そんなことは当たりまえで、「子どもでもそんなことは知っているだろう」と言いたくなる。

症状が出れば、何でもかんでも医者の所にいき、薬で症状をとってもらおうという態度では、原始時代に「悪霊がついたから祈祷師に悪霊をはらってもらう」という姿勢から何も進歩していないじゃないか・・・・・・、と言いたい気持ちを抑え、検査が終わってから、症状の意味について、患者さんにじっくり話をした。

そして、彼女は長いことなぜその症状が出たり消えたりしていたかをはじめて理解したようだ。

「はじめてきちんとした説明をしてもらいました」と言って帰っていった。

時間がかかるが、こういったことはきちんと話さなければならないと思う。

検査後、顧問の先生に、「昔はこういった理由で病院に来る人なんていなかったですよね」と聞いた時、その先生は、「たしかにいなかったですね。でも我慢に我慢をかさね、来た時は手遅れ、という人はけっこういましたね」と答えられた。

「はっ!」とした

たしかにそうだった。

多少神経質くらいのほうが、手遅れにならなくてすむのだろうから、あまり症状に神経質になりすぎる患者さんをばっさり切り捨てるように言ってはならないのだ、「もっとやさしい言い方があるはずだ」と反省した。

僕はまだまだ血の気が多すぎるのだ。

しかし、しかしだ。

食べ過ぎて胃が痛いくらいで内視鏡検査を求めるのどうかと思う。

症状はメッセージなのだ。

悪いことをすれば、「やめなさい」というメッセージが身体から発せられる。

それをすぐに病気に結びつけるのはおろかなことだ。

食べ過ぎたら、食事をひかえて数日様子を見て、それでも改善しなければ受診する、そういった態度が必要なのだと思う。

「そんなことはわかっている」と言う人が多いだろうが、そうじゃない人を最近やたらと経験するのである。