たくさんの不定愁訴(様々のところのとらえどころのない症状)を訴える老人が増えている。
外来をやる度に何人かが受診する。
よほど時間があまっているのだろうか。
生きることに精一杯であれば、そのようなことを考えている暇はないはずだ。
そういった人の特徴は、神経質で自律神経失調ぎみで、依存体質であり、そのわりに大病の経験がない。
彼らは、死をやみくもに恐れ、検査ばかりしている(検査への依存)。
症状があれば、すぐに薬をのみたがる(薬への依存)。
すぐに医者にかかる(医者への依存)。
小さなことにこだわり、なんでもクヨクヨ考え過ぎるから、自律神経のバランスが乱れている。
その結果、肩こり、冷え性、下痢あるいは便秘、一過性の腹痛、動悸などの多彩な症状がでてくるが、自律神経のアンバランスが原因だから、検査をしても大きな異常はみつからない。
異常がないと言われてもその言葉を信じない(だから医者をしょっちゅう変えている)。
症状の原因に意識を向けることなしに、現われた症状ばかりを気にしている。
自分自身がないから、他人の言動やくだらないテレビ番組に左右され、余計な心配ばかりしている。
いつも症状にとらわれすぎているから、他人を思いやることが少なく、自分勝手である。
ところが、すぐに医者にかかるので、大事に至ることは少ない。
大病していないので、死を本当の意味で意識してはいない。
そのわりに過剰に死を恐れ過ぎているので、“いのち”がまったく輝いていない。
こういった人が多いので、検査が増え、薬がたくさん出され、今の医療経済は成り立っている。
これで良いのだろうか?と思うことが多い。
こういった人に効く特効薬はない。
あるとすれば、生かされていることへの感謝の念を持つこととたくさん感動すること、だろうと思っている。
が、とても難しいのは事実である。
だから、安易な検査と投薬でお茶を濁すような医療がはびこることになる。
そういうことが嫌いな僕は、真っ向から立ち向かう。
改善しなくても,少しでも気付いてくれれば・・・・、と思うのだが、現実はなかなか難しい。