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検査は何のためにおこなうか

のどの閉塞感と胸部の圧迫感を訴えた患者さんが外来にきた。

話を聞いてすぐにストレスによる自律神経失調症状だと思った。

以前も同じ症状があって、そのとき検査をして何も異常はないと言われませんでしたか、と聞くと、「そうです」との答え。

やはりこれは自律神経の失調だろう。

「一応検査をして気質的異常(腫瘍や炎症など)がないことを確認しましょう」と言ったが、同時に言ったことは「これで異常がなかったら、ストレスがかかった時に自分にどんな症状が出て、それにはどう対応したらよいかを学んでください」ということ。

この経験を積み重ねることで、対処方法を学んでいかなければ本質的な解決は得られない。

検査をして何も異常がなくて安心することで症状が消え、またしばらくしてストレスがかかり、同じ症状が出て、また検査して・・・・・・、ということを繰り返している人があまりにも多い。

それに対して、医者はその場限りにことしか言わないので、患者さんは学ぶ機会を逸していると思う。

今回の検査に異常がないのであれば、なぜ症状が出ているのか、それに対してどう対処すべきかまで話す必要がある。

検査とは、自分が考え、想像した病態や診断を確認するためにおこなう、と僕自身は思っている。

検査して投網をかけるように何かを見つけ出そうという場合もあるが、そればかりでは能がない。

これは僕が医者になった時からの持論だが、そういう考えをする医者は少ない。

こう書いていて、ある先生の言葉を思い出した。

僕が卒後2年目で研修医の時のことである。

3年先輩が受け持っていた患者さんを引き継いだ時、確定診断のために腎臓の検査を依頼しなさいと言われた。

が、不幸なことにその検査は失敗に終わった。

落胆した患者さんは、もうあんなつらい検査はいやだと泣いていた。

やがて、その患者さんの今後の方針が医局の症例検討会に出されることになった。

会では、教授を含め先輩のドクターはみな再検査が必要だと言う。

僕は新米だったけれど、そういった患者さんを以前受け持ったことがあったので、自信を持って「この患者さんの病態は臨床症状と薬の反応からだいたいの想像は出来るので、患者さんが嫌がっている以上、検査はすべきではない」と答えた。

が、非難が集中した。

その時、ゲストとして呼んでいたある医科大学の教授で腎臓学の大家が、「きみ、そんなふうに言うのなら、その組織像を答えてみなさい」と発言された。

僕がその組織像の特徴を話すと、その先生は次のように答えられた。

「組織像、病態はきみの言う通りだ。そこまで推測できているのなら、検査は本人がやる気があるのなら別だが、そうでない以上すべきではない。検査というのは、自分の考えを確認するためのものでなければならない。事前に十分に考えずに、なんとなく何かの結論が出ることを期待するような検査のやり方は好ましくない。しかし、今後どうしても治療方針を決定するために検査が必要になったら誠心誠意必要性を話しなさい。君が話せば患者さんは納得するはずだ」と・・・・・・。

四面楚歌だった僕の立場が一気に変わった。

以来、僕はこの考えに自信を持っている。