外来に大腸の検査をやったばかりなのに、肛門の癌が心配だ、という人がやってきた。
「どうして心配なのですか」と聞くと、知人が肛門の癌になったとのこと。
この手の患者はすごく多い。
周囲の人がある種の病気になると自分にはその症状がまったくないのに心配になって検査を受けにくる。
気持は分からなくはないが、そんなに周囲に影響ばかりされているといつも気が休まらないではないか、と思う。
だから、この手の人はいつも疲れて、だるいと訴える。
今日の人はかなり心配性で、本を読んだり、他人から話を聞くたびに心配になり検査を受けに来ていたらしい。
そのような患者さんに検査をすべきか?
もし最近検査をしていなければ、検査をすることはかまわないだろう。
しかし、毎回毎回同じ症状に対して検査をしても異常がみつからない場合、最近検査をしたばかりのときなどは、いかに検査をさせないようにするかが大切だと思う。
こういった患者にとって、検査をすることはアルコール中毒患者にアルコールを飲ませるようなものだ。
一時的に楽にさせるが、長い目でみたら好ましくない。
しかし、検査をしないと不安で不安でたまらなくなるという依存症に対してどう対処したら良いかはとても難しい。
こういった時に言葉で説得しても効果が少ない。
検査をしないと他院に行くだけだろう。
だからほとんどのドクターは検査をするようだ。
僕は「医者は依存症を作る手助けをしてはならない」と思うので、あきらめずに依存症から逃れるすべを話す。
その内容はケースバイケースだが、いのちの意味や他人への貢献の喜び、自分らしく生きていると些細なことにこだわらなくなること、考えすぎずに、素直に自分の身体が発するメッセージを聞く訓練をする大切さなどだ。
僕自身も以前はかなり神経質で、自分で自分の首をしめていたが、それを乗り切ってきた経験も話す。
今日の患者は、帰る時には「良い話が聞けました。頑張ろうという気になりました」と言ってくれた。
きっとこの1回だけですべてが解決することなどありえないだろうが、何かのきっかけになればそれで良いのでは、と思う。
しかし、言葉だけでは伝わらない、という思いも強い。
こんな時に、パラパラとめくって見ているだけで、「いのちの意味(生きる意味)」に気付かせるような本が作りたいと思う。
そうすればこのような依存症から離脱する手助けになるのではないだろうか(そんなに簡単ではないかもしれないが・・・・)。
今回の写真集はそれが狙いでもあるが(現時点ではかなり満足できる内容になっていると思うのだが)、これが完成に近い形になるにはまだまだ何年何十年とかかるだろう。
しかし、いつかはそういった本を完成させたいと思っている。
今は、それが僕の一番の夢なのだ。