和歌山県にある高野山に行った。
家内の四国88か箇所お遍路の旅は5月で終わったが、最後に高野山に行く旅が残っていた。
高野山には僕と家内の母も一緒に行くことになっていたが、どうしても日程がとれず、やっとこの週末に全ての旅を終えることができた。
高野山に行った最大の理由は、死産だったわが子の骨を高野山に埋葬することだった。
お遍路に旅立つ前、彼女は苦しみながら高野山に出かけ、人間として尊敬する空海の御廟が建つ場所の土にわが子を還すこと、そして、その前に四国にお遍路に行く約束をしてきたのだった。
家内は彼の遺骨をお守りのように胸にかけ、病後の身体に鞭打ち、1200km以上を歩き通した。
子どもは死んでしまったのに、自分だけが生きていくことは出来ないと、自ら苦行の道を選び、歩き通した。
険しい山道の遍路道を1日30から50kmも歩き続けることは並大抵のことではない。
たしかに1日なら歩ける。
が、これを1ヶ月続けることは苦行以外の何ものでもない。
そこまで愛情を注いだ家内に僕は感動した。
高野山は不思議なところだった。
高野山では空海が眠る奥の院の前に多くの墓があった。
そこには織田信長と明智光秀、豊臣家と徳川家というような敵同士の墓もあった。
ここはすべてを受けいれる所なのである。
そして奥の院の最も奥に空海が入定した御廟があった。
そこは杉の巨木に囲まれた独特の気が漂う場所だった。
わが子の骨は1年ほど奥の院に保管され、その後は再び焼かれて細かい灰となって、空海の御廟の土に還される。
われわれ夫婦は墓を持ちたいとは思っていない。
それは、墓がさまざまな執着のもとであるのではないか、と考えているからだ。
もちろん、個人個人考えは違うであろうが、僕たちはコンクリートに囲まれたところに永遠に詰め込まれるのは嫌だと考え、自然に還してほしいと願っているので、現時点では散骨を希望している。
だから生まれることなく死んでいったわが子の骨も土に還ってほしいと願った。
家内が敬愛する空海に守られながら・・・・・。
この一連の悲しみに中で、僕たちはこの子によって大きく成長させてもらったと感謝している。
そして、この子への最大の供養は、僕たちが成長を続け、世のなかに貢献することだと思っている。
今回の写真集「Love Letter」は家内がお遍路で歩いている間に、僕が想いを込めて作った本である。
この本を亡きわが子に捧げたい。