家内が注目している監督の一人、チャン・イーモウの「英雄」試写会に当たったので、一緒に見に行った。
映画の中で監督がもっとも言いたいことは、「剣の道」でも「書の道」でも「道」を目指すものの究極はすべての調和に行き着き、同じ境地に達するのだ、ということだろう。
言いたい内容が素晴らしいのは分かる。
しかし、俳優の演技が軽く、あまりにもCGを使いすぎていて、嘘っぽくなってしまったのは残念だ。
せっかく構成は上手くて、見ていて飽きない内容なのだが、軽さゆえに「道」を目指すものの重みが出ていない気がした。
あまりにもハリウッド映画を意識しすぎたのかもしれない。
家内は、「イーモウ監督作品にしては不本意な点も多いけれど、この作品には完全な悪人というものが一人もいないところを評価したい。悪対善ばかりのハリウッド映画への痛切な非難もあるのだろう」と言う。
たしかにそのように思う。
誰の中にも善と悪が存在している。
「道」とは、何かに打ち込みながら、自分の全てを見つめていくことだろう。
その過程で、自分のなかの善と悪を認め、それらとうまく付き合っていく術を学んでいくことなのだと思っている。
これは芸術、武術だけでなく、すべての仕事にも言えることだ。
本当のプロは、技術を持っている者ではなく、「道」を目指している者、だと思っている。
そう書いていて、ふと気付いた。
そうか、「道を目指す」ということは、自らのいのちよりも大切なものがあると知ることなのだ、ということに・・・・。