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自然と調和した家

アフリカの空をセスナで飛んだ時、「人間の住処はなんて自然と調和していないのだろうか」と思っていた。

京都・奈良のある一部の寺では時にその調和を感じることがあったが、自然庭園でも古い寺でも違和感を感じることのほうが圧倒的に多かった。

それが、昨日訪れた家はコンクリートで造られていたが、自然とまったく調和して、何の違和感もなかったことに大きな驚きを覚えた。

建築家・椎名英三さんが住む「宇宙を望む家」だった。

椎名さんとはあるパーティーで知り合い、以後私の写真展にはたびたび来てくださっていた。

写真展での椎名さんの感想文はいつも素晴らしく、僕がテーマにしている宇宙との一体感、調和、共生という言葉がたくさん出てくる。

一度じっくりと話をしてみたいと思っていたが、昨日やっとそれが実現したのである。

狛江市にあるお宅はごく普通の家が立ち並ぶ住宅地の一角にあった。

しかし、玄関を入った瞬間、異次元の空間に入ったように感じた。

(実はここだけ自然と調和していたのである)

玄関を入って家まで10mくらいだろうか、右手は竹林になっている。

ライトアップされた竹とまだ紅葉していないもみじに迎えられ、コンクリート造りの家に入った瞬間、再び何かが違うことを感じた。

実は、こう感じた個人宅はいままでに2軒あった。

いずれも完全な木造建築で釘も使わずに造られていた。

が、この家はコンクリートなのに、いったいそれはどうしてだろう?と思った。

コンクリートに竹やもみじの影がうつり、独特の景観をつくっていたが、それだけで自然と調和するわけではない。

椎名さんは「コンクリートであっても、へんに枠を作ったりせずに、それが自然のままで、それらしく作ってあげれば自然と調和する」とおっしゃる。

たしかにそうなのかもしれない。

不思議、と思うほうが既成の概念にとらわれていたことに気付く。

椎名さんの建築におけるコンセプトは次のようである。

(椎名さんのホームページよりhttp://www.e-shiina.com/)

建築は人間の生活の為にあるものですが、より深く宇宙のシステムであるところの自然の摂理にかなったものとして生まれ出ずるものでなくてはなりません。それは人間が、生命がそうあるがごとくあるものだといえるでしょう。ですから建築は、生きる感覚の表現であるともいえるのです・・・・・・・・。

築20年の家だそうだが、古さをまったく感じさせず、光と影の演出によりむしろその古さが良い味を出している部屋で食事をしながら4時間あまり話をしたが、自然観、宇宙観などがとてもあい、いくつか写真表現と医療の分野で気付かされたことがあった。

今日この訪問で「僕自身のなかで何かが変わった」と実感できる刺激的な一日だった。

椎名さんの造った家に住んだ人はみな元気になっていくそうである。

そのことを聞き、今日あらためて僕の持論の正しさを実感した。

「自分らしく生きている人は、みなヒーラー(人を癒す人)であり、みな人生そのものをアートにしている」ということを、である。

家や物には執着をもたない僕たちだが、椎名さんの造った家なら住んでみたい、と正直思った。