「症状がつらいから、良い薬ですぐに症状をとってくれ」というのが多くの患者の心理なのかもしれない。
だから、それに答えて、すぐに強い薬(すぐに症状がとれる)を出す医者もいる。
そのような医者には患者が集まる、そんな話が聞こえてきた。
医局での他の医師たちの話である。
その強い薬とは長期使用では副作用があって問題なのだが、短期的に上手く使えば毒も良薬になるのである。
たしかにやむを得ずそのような使い方をすることはある。
しかし、患者を集めるために安易にそうしたことをしている人がいるとしたら、本当にそれで良いのだろうか、と思ってしまう。
僕は正反対の考えをしている。
症状をとることも重要だが、それ以上に重視しているのは、患者がその症状を通して自分の心や体のことを学び、以後同じことがおきにくくすることである。
無理をすれば、どこかに負担がかかり、それをやめなさい、という警告が出る。
たとえば、冷たいものを食べ過ぎればお腹が痛くなり、くよくよ悩みすぎると胃や頭が痛くなってくる。
そのような時、対症療法薬をのむのでなく、原因を除去することが先決で、薬はその次の手段になる。
一見病気のようなみえる風邪だって、過労やストレスで免疫力が落ちたときにかかり、膀胱炎も免疫力が落ちていなければなかなかおきない(いくら膀胱のなかに菌が入っても)。
多くの膀胱炎は過労と冷えを予防すれば再発は防げるが、その努力をしないで、ただ抗生物質を出すだけでよいのだろうか。
すぐに対症療法薬や抗生物質を出し、それを服用するだけで良いのだろうか。
症状や病気になった原因を知り、それに対してどう対処するかを学び、また治る過程を体感していくことが、自分の体と心のあり方、そして今後の予防のためには不可欠だと思っている。
それを知ったうえで、対症療法として薬を使うのは良いだろう。
なにも薬物療法が悪いと言っているのではない。
薬物療法が有効な場合は多く、実際西洋医学の医者として僕もよく薬は出す。
しかし、症状や病気の持つ意味に対してまったく無頓着で、症状や病気も悪者で一刻も早く消してくれというのは、「原始時代に悪魔がとりついたから祈祷師に悪魔をはらってもらう」というのと同じ発想で、まったく進歩していない、と思う。
たしかにそのような気持は分からなくはないし、僕のような医療を「まどろっこしい」と敬遠する患者がいるのも分かる。
これは求めるものの違いなのだろう。
便利さや快適性を求めるのか、それとも自己の発見に寄与する医療なのかの違いである。
どちらに傾きすぎても良くないのだろう。
僕は、この2つの調和をはかりながらも、後者の方向に導いていく医療をしていきたいと思っている。