· 

新年の誓い

高野山で年越しをして、元旦の朝はわが子が眠る高野山・奥の院にお参りに行った。

その後、家内が厄除けをした奈良の長谷寺にお札を返しにいった。

家内の厄年と大殺界もやっと終わった。

(そんなことを信じているのか、と思われるかもしれないが、僕も家内も不思議なくらい当たっている)

長く苦しい3年間だったが、やっと前向きな気持で新たなスタートがきれそうだ。

しかし、このような状況のなかで、僕たちは毎年驚くほど変化し続けてきた。

いや、自らを変化させなければ、もたなかったと言ったほうが良いかもしれない。

そして、たくさんの苦しみを乗り越える過程で、お互いのことが見え、自分自身の本質にも近づいてきたように思う。

僕たちは、多くの人たちが求めている生き方とは違ったものを求めている。

それは、安楽な生き方ではなく、輝きのある生き方だ。

現代人の多くが求めている安楽な生活は、苦しみからの逃避が根底にある。

だから、苦難からの逃避を繰り返せば、一時的な安楽さの代償として輝きを奪っていくことを忘れてはならないと肝に銘じている。

対極にある輝きのある生き方は、苦難を乗り越えながら自らが成長していく過程でしか得られないと思っている。

だとすると、両方を選ぶことは困難であり、どちらかを選ばなければならないとしたら、僕らは輝きのある生き方しかないのだろう。

苦難からの逃避は、一時的に必要なときもある。

しかし、やり続ければ、そのつけをいつか返さなければならなくなる時がやってくる。

それは、生きること自体が苦難と痛みを伴うものであり、それからの逃避は、本質的ではないからだ。

逃げないのは難しいことだが、逃避によってつけを払わざるをえなくなったという経験を2人とも嫌というほど味わってきたので、僕らが選択する輝きのある生き方のためには、苦難から逃げずに立ち向かうしかない、と思っている。