まだ写真展は開催中だが、昨日から横浜に戻り普段通り診療に従事している。
会場にはいないが、多くの方々から感想のメールをいただく。
そのなかでこんなメールがあった。
(長いので一部変更してあります)
○○の写真は、怖い思いをして心に傷を負った子供たちに見せてあげたいような気分になりました。
それは、関西で起きた小学校乱入事件やイラクの子供、どんな子供も対象です。
××などは、「寂しい思いをしているかも知れない」お年寄りの顔が思い浮かんで・・・こんな風景の中に立つことができなくても、こんな写真を見ることができたら喜ぶだろうなあ・・・などと考えてしまいました。
実は、他の先生方のアフリカを舞台にした写真を見ても、自分のサファリを思い出すだけでした。
でも、先生の作品は私に「人」を思わせてしまう不思議なパワーがあるのです。
それもアフリカとも動物とも、自分とすら関係ない人まで思わせてしまいます。
写真の中の太陽の向こうに、雲からさす光のむこうに、必ず誰かがいる気がします。
という感想だった。
これは僕にとって嬉しい感想だ。
なぜなら、僕にとって決定的瞬間といえる写真のなかには、すべてが内包されているからだ。
生も死も輝きも闇も・・・・・・。
すべてが共存し、調和がとれている、それが僕の決定的瞬間。
このように、見ている人の気持ちがその中に入り込み、結果として自分の奥底に眠らせていた様々な情報、答えが出てくる、そんな写真が撮りたいと思っている。
見る人の気持ちによって引き出されるものが違ってくるのは当然であるが、とくに引き出したい答えは、皆が知っているはずの「いのち」の答えなのだ。