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東山魁夷展で感じたこと

アフリカ前に執筆が3本残っている。

昨日からアフリカの準備そっちのけで執筆にとりかかっているが、少し疲れてきたので妻と横浜美術館に東山魁夷展を見にいった。

妻は、かつて国民的画家といわれていた東山画伯の作品が好きである。

家内と僕は、作品を見たときの評価が似ていることが多いのだが、画伯の絵に関しては意見がまるで違っていた。

僕は「あまり訴えてくるものがないので好きではない」というのに対し、家内は「その絵のなかに入っていけるから好きだ」という。

しかし、これは同じ見方をしているのだ、ということに気がついた。

画伯の絵は訴えかける(押し付ける)のではなく、相手の持っているものを引き出す絵なのだろう。

だから、人によっては訴えかける力がないと思ったり、逆に気持が入っていけると感じたりするように思う。

僕は、本質的には絵でも写真でもエネルギーのある作品が好きだ。

そして自分もそのような作品を撮りたいと思っている。

だから、太陽の強烈なエネルギーを入れた逆光の写真が多い。

しかし実はその半面で、「相手からさまざまな感情や答えを引き出させるような写真が撮りたい」とも思っている。

それは太陽と大地と動物が一体化したような写真である。

このような写真では、動物は控えめに小さく写っているだけだ。

実際、写真展のたびに後者の写真のほうが、観客のなかからさまざまなものを引き出しているようだ。

この両者があるのが僕の写真の特徴であり、これによって井上ワールドが作られていると思っている。

だが、最近そのウェイトに変化が生じ、後者の写真のほうが好きになりつつある。

しかし、いまだこの両方を僕が求めているのは事実であるから、徹底的に控えめで、感情移入しやすい作品が圧倒的に多い画伯の展覧会では、物足りなさを感じたのであろう。

この展覧会では、画伯の絵が日本の原風景であり、多くの日本人が好むのだ、ということはよく分かった。

そういった面ではとても勉強になった。

そして、この日記を書きながら、ふと気付いたことは、僕が撮りたいのは日本の原風景ではなく、「いのちの原風景」だということだ。