ある患者さんから『マイシャと精霊の木』を読みましたと告げられた。
「ロマンティックな本ですね」と彼は言う。
ロマンティックですか?
そういう本ではないのだが・・・・・。
その患者さんは、数年前の80歳近くの時に、うちのクリニックで胃がんが発見された。
すでに現役を引退していた彼は、手術をかたくなに拒否した。
家族は「なんとか手術を受けることを説得してほしい」と言う。
心身ともに若々しく、胃以外にはとくに異常はないので、手術は十分可能である。
成功すれば治癒率は100%近いであろう。
しかし、彼の論理は、もう自分はやるべきことを終えたから、自然の摂理に任せたいということのようだ。
たしかに人間は長寿になりすぎたために、世の中ではさまざまな弊害が生まれている。
僕も長生きが良いとばかりは言えないと思っている。
彼の考えに潔さを感じた。
だが、同時に思ったのは、まだ生きてほしいと願う家族のために生きるのも間違いではないのでは、ということだった。
もちろん正解はないだろう。
よく考えて自分で決めるしかない。
考えた末、僕は手術を薦めた。
彼は、家族のために手術を受け、成功した。
以後、外来に定期的に来てくれているが、「しょうがなく生きている」という雰囲気が否めなかった。
現役時の輝きとのギャップは相当なものなのだろう。
彼が外来から出た後に奥さんが入ってきた。
「先生、本、素晴らしかったです」と言う。
あの本を読んだ後、ふだん「いつ死んでもよい」と言ってばかりいた彼が「もう少し生きてみようか」と言ってくれたと嬉しそうに話してくれた。
彼の言ったロマンティックという意味、ちょっと分かったような気がした。
たくさんの人に『マイシャと精霊の木』の感想を聞いたが、驚くほどに全員が違う。
今まで出してきた写真集ではこのようなことはなかった。
今回の本の感想で面白いのは、その答えが「概ねその人らしい」のだ。
お世辞を言う人もいるが、今までの本とは違っていて、なぜかすぐに分かってしまう。
誤魔化しがきかないように思う。
ということは、この本は読者の心を写す鏡のような何かを持っているのかしれない。