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	<title>コラム | FUYUHIKO INOUE Breeze in Savanna</title>
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	<description>FUYUHIKO INOUE Breeze in Savanna｜写真家｜井上冬彦</description>
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		<title>「伝えたい」という”想い”</title>
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		<dc:creator><![CDATA[root]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 25 Mar 2021 05:51:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>14年前から東アフリカのサバンナに通い、写真活動に取り組んでいる。現役の医師として勤務しながら遠いアフリカの地に通い続けることは膨大なエネルギーを要することだったが、すでに訪れた回数は28回に及んでいる。その原動力となっ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[14年前から東アフリカのサバンナに通い、写真活動に取り組んでいる。現役の医師として勤務しながら遠いアフリカの地に通い続けることは膨大なエネルギーを要することだったが、すでに訪れた回数は28回に及んでいる。その原動力となったのは、私の中で湧き上がり、様々な形に変化していく「伝えたい」という“想い”であった。<br />
<br />
初めてサバンナを訪れ、大自然の素晴らしさと自然の摂理のままに生きる動物たちの美しい姿に心打たれた時、「この感動を伝えたい」という強い“想い”が湧き上ってきた。しかし、当時の私にはその手法がなかった。絵や文章で表現する自信はなく、たまたま借り物のカメラを持っていた関係で、写真で感動を表現しようと思った。ところが、出来た写真はすべてピンボケ････。初心者同然の私が初めから撮れるわけがなかったが、失敗したからこそ、「感動を伝えたい」という“想い”が強くなっていったのだと思っている。<br />
<br />
<img src="/wp-content/uploads/column_img001.jpg" alt="「伝えたい」という”想い”" class="wp-edited-image" /><br />
<br />
独学で写真を学びながら通い続けて8年目、“想い”が実現する瞬間が訪れた。初めて開いた写真展会場で、多くの人から受け取った「感動した」というメッセージ。その時の喜びは計り知れないほど大きなものだった。<br />
<br />
しかし、それ以上に嬉しかったのは、会場を後にする多くの人の「元気になれた」、「癒された」という感想であった。医の原点は“癒す”ことだと思いながらも、忙しい医療の現場で自分自身が十分に成し得ていないことに感じていたジレンマ････。その“癒す”という行為が写真活動で出来ることを知った時の喜びは、感動を伝えられた以上に大きかった。以後、私の写真活動は、医療と同じ“癒す”という方向性を持ち始め、写真集の出版や写真展の開催だけでなく、医療施設における癒しの環境作りにも取り組むようになった。 しかし、ここまでの道のりは決して平坦なものではなく、様々な困難に直面し、何度も諦めかけた。が、私をサバンナに駆り立て続けたのは、「感動を伝えたい」、「人の心を癒す写真が撮りたい（これは、自分自身をもっとも癒すことだと分かっていた）」という2つの強烈な“想い”であった。<br />
<br />
<img src="/wp-content/uploads/column_img002.jpg" alt="「伝えたい」という”想い”" class="wp-edited-image" /><br />
<br />
サバンナに通い続け、写真活動で表現したいものが変わっていくとともに、私の医療活動にも変化が生じてきた。癒された時に自然治癒力が増していくことに興味を持った私は、西洋医学一辺倒の現代医療に疑問を持ち始め、自然治癒力を高める医療を模索し始めた。同時に、長年「やらなければ…」と想っていた“生と死”の講演活動に取り組み始めた。その原点は、20年間勤務していた大学病院で見てきた多くの死であった。病名も告げられず、最後に残された僅かな生命を延命治療のために病院のベッドの上で送らなければならない多くの日本人。その姿を見て、「医療は延命を可能にしてきたが、“生と死”を輝かせることに貢献しているのだろうか？」という疑問を持ち続けていた。この問題点を考える上で、人間社会と野生の世界という二つの異なった環境での“生と死”を、医師と自然写真家の二つの視点で見続けてきた経験はとても役立ってきたように思う。そして、サバンナで撮った自然写真は、言葉では表し難い“生命の本質”を表現するのに適しており、講演内容に具体性と想像性を与えてくれた。<br />
<br />
今では、医師、自然写真家、生命の表現者という三つの活動を通して私の“想い”を表現しているが、これらの活動はお互いに強く影響しあいながら進化しているように思う。<br />
<br />
そして最近、自分自身がもっとも伝いたいものが、これら個々の活動を通した“想い”を超え、全てを包括した“自分自身の生き方そのもの”だということが分かってきた。<br />
<br />
<img src="/wp-content/uploads/column_img003.jpg" alt="「伝えたい」という”想い”" class="wp-edited-image" /><br />
<br />
大修館書店<br />
雑誌　月刊「言語」<br />
2002年8月号に掲載The post <a href="https://www.fuyuhiko.jp/colum/128">「伝えたい」という”想い”</a> first appeared on <a href="https://www.fuyuhiko.jp">FUYUHIKO INOUE Breeze in Savanna</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>医師として自然写真家として</title>
		<link>https://www.fuyuhiko.jp/colum/133</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[root]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 20 Mar 2021 05:56:54 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>私には2つのライフワークがある。 ひとつは内科臨床医の仕事であり、ひとつは東アフリカの大草原・サバンナに生きる動物たちの生命を撮り続ける自然写真家の仕事である。医師としての仕事がライフワークであることは言うまでもないが、 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[私には2つのライフワークがある。<br />
<br />
ひとつは内科臨床医の仕事であり、ひとつは東アフリカの大草原・サバンナに生きる動物たちの生命を撮り続ける自然写真家の仕事である。医師としての仕事がライフワークであることは言うまでもないが、サバンナの写真が単なる趣味では なくライフワークとなり、それが医師としての自分にどのような影響を及ぼしてきたかについて書いてみたい。<br />
<br />
私は昭和54年に大学を卒業し、大学付属病院で内科臨床医としての道を歩み始めた。内科全般に通じた医師になりたいと思い、最初の5年間は専門をなるべく持たないでいた。6年目からは消化管の専門家の道を歩み始め、現在に到っている。医師の仕事と平行して、卒業後から医学以外にも生涯続けられるこ とを探していた。紆余曲折があったが、1987年に始めて東アフリカのサバンナを訪れたことが私には大きな転機となった。その時の感動が、子供の頃一時夢見ていた「動物学者か動物写真家になりたい」という夢を呼び覚ました。<br />
<br />
<img src="/wp-content/uploads/column_img004.jpg" alt="医師として自然写真家として" class="wp-edited-image" /><br />
<br />
東アフリカのサバンナの魅力は、なんといっても豊かな生物層である。 とくに哺乳類の種類、数の多さは他に類をみない。さらに、サバンナの朝と夕、太陽が刻々と色と輝きを変えながら劇的に空と大地、そして動物たちを染めあげていく美しさ、雄大さも大きな魅力である。この素晴らしい光景といきものたちの自然な姿に私は深い感動を覚え、初めての旅以来、 「なんとかこの感動を人に伝えたい」と思うようになった。そして、サバンナの自然写真に取り組むようになっていった。しかし、それまでの写 歴はごくわずかで、とても人に見せられるような写真が撮れたわけではなかった。最初の何回かの旅ではすべてがピンボケといった状態からの出発であった。自己流ながら少しずつ勉強して写真が上達するに従い、「写真の個展を開きたい」、そして「写真集を出版したい」というような夢を持ち始めた。<br />
<br />
大学病院に勤務しているということは、交代で2週間の休みがとれるという利点があった。反面、とても忙しく、いつも複数の仕事に追 いまくられていた。あまりにも忙しいときは、サバンナに行くのもおっくうになり、もうやめようと思ったことが何度もあった。出発前日の夜遅くまで仕事をし、帰国したその足で病院直行というのは当たり前であった。サバンナがいくら生き物が豊富な世界といっても、そう簡単に撮影ができるわけではない。アフリカは往復するだけで約4日がつぶれてしまう。2週間と限られた期間で1日でも半日でも長く撮影していたいためにこのようなやりかたになってしまうのであった。こんな状態でサバンナに通い続けた。<br />
<br />
<img src="/wp-content/uploads/column_img005.jpg" alt="医師として自然写真家として" class="wp-edited-image" /><br />
<br />
はじめた頃は無我夢中で、被写体に向かって遠慮なく、近ずこうとしていた。「とにかく撮影するのだ」という気持ちが強すぎたような気がする。しかし、サバンナに通ううちにだんだん私の気持ちに変化が生じてきた。それまでは動物たちが見せてくれる決定的瞬間ばかりを狙おうとしていたが、やがて動物たちの人間を意識しない自然な表情こそを被写体として求めるようになっていった。<br />
<br />
その頃から、無理に動物たちに近づかないで、自然に彼らと同じ空間が共有できた時に、より大きな歓びと心の安らぎを覚えるようになっていっ た。しかし、ある程度近づかなくては動物たちの野生の瞬間をとらえることはできない。時々は獲物を狙うかのように被写体に迫りたいという避けがたい欲求が生じる。この葛藤が続いているが、最近ではこの相反する気持ちに揺れたとしても、動物たちに近づく時は「大地になれ、風になれ」と念じ、その環境に溶け込むように努力する余裕がででてきた。その頃からほんとうに楽しんで撮影ができるようになった気がする。<br />
<br />
自然をみつめる機会が増えるとともに、私の死生観が少しづつ変わっていった。それは、たんに医師としてだけでなく、地球人としてより広い視野で生死について考えるようになってきた。 　医学の発達により人間の多くの病気は克服されてきた。反面、人間の死から尊厳が奪われ、おかしな方向に向かっている。人間以外では、弱い個体は滅び、弱い種は淘汰されていく。ちょっとしたことが死につながるぎりぎりのところで生きている。死は日常であり、自然である。 　サバンナで自然を見つめていると「人間はこれらの生物と違う存在なのだろうか？」という疑問が生じる。その答えは、人間サイドに立てば違うと言わざるおえないかもしれない。しかし、地球的な視点にたてばそんなに違っていいものだろうかと考えてしまう。<br />
<br />
すべての種の共存をはかることはとても大切なことであるが、人間はそのことを忘れ、この数十年で地球環境を信じられないほど悪化させてしまった。地球環境にとっては癌細胞と同じになった。地球環境を守るために今必要なことは、何が大切でこれから発展させていくべきものなのか、何をどう縮小していくのかを整理し、それを早急に実践することである。これは医学の分野だけではなく、政治も経済もすべてに共通して言えることであり、21世紀に課せられた大きな命題である。<br />
<br />
<img src="/wp-content/uploads/column_img006.jpg" alt="医師として自然写真家として" class="wp-edited-image" /><br />
<br />
今の地球では人口が増えすぎたために、医師として個々の命を守ろうとすればするほど、地球にとってはある意味において不利益なことをしているという困った状態になってきた。だからこそ、人間のいのちを守り続けることと地球環境を守るという2つの間で良い線引きをしなければならない時期がきている。だが、これは行政の仕事である。なぜなら、医師としてはひとの命を守ることに全力をあげなければならないからである。それでは医師に何ができるのであろう？私は2つのことをあげたい。1つは無駄を省くことである。医学の分野にも様々な無駄がある。無意味な治療、検査、研究など、数え上げればきりがない。これらを改め、資源を地球環境を守ることに費やすべきである。何が無駄でなにが有益なのかの線引きは難しいが、医学の向かう方向性が明示されればおのずから答えはでてくると思う。少なくともこのまま人間を死なせない研究をやり続ければ、老人が増え続け、反面開発途上国で若い餓死者が増え続けていくであろう。<br />
<br />
そして、環境がますます破壊され、他の動物たちがどんどん絶滅していく。いのちを決して軽んじてはならないが、人間の生命を守るためだから何をしても良いという発想は今の地球では間違いになってきたことを認識しなおすべきである。　2つ目は必ず死ぬ運命にあるいのちに尊厳を与えることである。人間のいのちを限りなく伸ばす努力には当然限界がある。命の長さよりも質を問い、生きること、死ぬことを考えていれば今行なわれている無駄に気付くはずである。この2つの努力はいずれも無意味な検査、治療、研究などを整理し、抑制することに結びつく。 私は自然を見つめ続けているうちに、人間だけの視点のみでは人間の死を考えられない時代になってきたことを痛切に感じ始めた。<br />
<br />
また、サバンナの自然を見つめ続けたことは、人間の多様性を認める大切さを再認識させてくれた。人間はひとりひとり価値観も考えかたも違う。遺伝的因子も個体としての反応も違う。しかし、あまりにも多忙になった医師たちはいつのまにか個人ではなく、病名や症状に対して治療をおこなうようになってしまった。また、医学は科学的にしなければならないが、本質は人間学である。だから、科学にしようとしすぎると人間全体をみる目を失ってしまう。今の科学のレベルでは、多様性のある複雑なものほど科学的データになりにくく、重要なことはその中に隠されていることが多い。だから、統計学的処理によって、一般的傾向を知ることは必要ではあるが、それが単に一つの特徴を示しているにすぎないことを知り、それ以外を排除するようなことをしてはならない。むしろ、他とどう違うのかをよく観察し、考察することが大切である。<br />
<br />
<img src="/wp-content/uploads/column_img007.jpg" alt="医師として自然写真家として" class="wp-edited-image" /><br />
<br />
医学は科学にしようとしすぎると、また専門化すればするほど、人間の持つ多様性が軽視されがちとなり、複雑な心の問題が置き去りにされていく。現在の医療システムはだんだん専門化の方向に向かっている。たしかに臓器の異常に対しては診断学も治療学も格段の進歩をとげた。しかし、原因が複雑であったり、心理的因子もからみあったような病気に対してはあまり進歩していない。<br />
<br />
むしろ、癒しの心を忘れ、全人的に診れなくなったために後退している部分もある。このような事態を回避するには、専門家になる前に一定のレベル以上の generalistの勉強し、全人的医療の基礎を築かなければならない。また、生死に対して、常に考え、きちんとした哲学をもつ必要がある。私は自然を見つめながら、だんだん人間をトータルにみる視点を失いつつある現在の医療体制に疑問を感じるようになってきた。<br />
<br />
私の中で医療に対する考え方が変わるとともに、医師として治療するだ けでなく、癒すということの意味を真剣に考えるようになっていった。しかし、忙しい大学病院で何ができるであろうか。今は、癒すというレベルにはほど遠いが、患者さんの不安を取り除く（これだけで多少癒すことにもなる）ためによく説明すること、考えの多様性を認めて（患者さんの治療意欲が出てくる）その人にもっとも適した治療法を選択すること、そして病気との共存の意味（不必要な不安をとり、病気によって得られるものがあるというプラス思考に変える）を説くことを実践している。さらに、私の治療は薬物治療主体から、人間が本来もつ治癒力をいかに引きだすかというやりかたに変わってきた。私の中でいろいろな価値観が変わりかけた頃、念願であった写真展を開催することができた。<br />
<br />
その時、会場を訪れた人達の反応や感想文から私の 写真でも「癒される」と言う人が多数いることに気付いた。「写真をみているといやなことを忘れられる」「写真を見れば今日一日幸せな気分でいられる」等の言葉は、医療でおこなおうとしていた「癒す」ということが写真でできることを気付かせてくれたのである。そして、その頃から趣味と仕事というようにまったく別の道を進んでいたと思っていた写真と医療 が、人を癒すという共通の方向性を持ち始めたのである。そして、両者が生と死を見つめる私の共通のライフワークとなった。<br />
<br />
<img src="/wp-content/uploads/column_img008.jpg" alt="医師として自然写真家として" class="wp-edited-image" /><br />
<br />
平成8年10月、ついに夢であった写真集が出版された。当初の予定より10年早い目標達成であった。サバンナの自然は私に夢を持ち続ける大切さを教えてくれた。また、地球人としての視点で生死を考えること、多様性を認める大切さなどを考える機会を与えてくれた。さらに、広い視野を持った多くの友人たちと知り合えるきっかけを作ってくれた。これらのことが医師としての自分にとても大きな影響を与えてくれたのである。<br />
<br />
今後は、私の写真によって都会の人工物に囲まれた生活に疲れた人や病で心にダメージを受けた人たちを癒すことにもチャレンジしていきたい。 そして、医療と写真を両立させることで生と死、そして癒すということの意味を考え続けていきたいと思っている。<br />
<br />
医事新報<br />
ジュニア版 第361号<br />
平成9年4月発行The post <a href="https://www.fuyuhiko.jp/colum/133">医師として自然写真家として</a> first appeared on <a href="https://www.fuyuhiko.jp">FUYUHIKO INOUE Breeze in Savanna</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
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